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我々はまだ、真のドラクエ1リメイクに出会えていないのではないか

2023-05-07 0

長さ: 長

読み口: 重

独自性(視 / 論): 高 / 逸脱

 まず第一感で何言うとんじゃい、と思われる方も多いだろう。
ドラクエ1のリメイク作なんぞ、SFC時代から数えても過去何本もリリースされている。
今回言いたいのは、そういう表層的な話ではない。
むしろ、何本もリリースされていると言うのに、オリジナル版から全く手が入っていない部分について、ちょっと語ってみたいと思う。
念のため言っておくが、あくまで仮説、である。

Contents
  • 過去にリリースされたドラクエ1のリメイク作
  • オリジナル版は果たして完成形であったか
  • 流れを再確認
  • 多分、ここが削られたんじゃね?
  • リメイクするなら

過去にリリースされたドラクエ1のリメイク作

 最初に軽いウォーミングアップがてら、過去にリリースされたドラクエ1リメイクをざっと列挙してみよう。

  • ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ(1993:SFC)

  • ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ(1999:GB)

  • ドラゴンクエストⅠ(2004:iアプリ、2004:EZアプリ、2006:Vアプリ)

  • ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ・Ⅲ(2011:Wii)

  • ドラゴンクエスト(2013:Android, iOS)

  • ドラゴンクエスト(2017:PS4, 3DS)

  • ドラゴンクエスト(2019:Switch)

 最初のリメイクであるSFC版が、オリジナルであるFC版の約7年後に登場した以降、言ってみればそれぞれの時点での主要プラットフォームに向けて、半ば定期的にリリースされていることになる。

 ところが、これだけの数がリリースされながらも、実は根本部分はFC版のままであり、グラフィックや操作性やパラメータ周りのバランス調整しか成されていないという事実がある。
ドラクエ2以降は大体において新要素が追加されているにも関わらず、だ。(特に3以降は、クリア後のダンジョンを始めとして、現代的アレンジが随所に施されている)

オリジナル版は果たして完成形であったか

 何本もリメイクがリリースされているにも関わらず、特に大きく手が加えられるでもなくマイナーチェンジ程度であるのはどういうことだろうか。
オリジナル版が非の打ちどころのない完成形で、後年の何人であろうと手を加えることを憚らせるような芸術品であった、ということであれば、理由としては判らなくもない。

 が、

 ネットで検索すれば、ドラクエ1製作当時における逸話は(どれも似たようなコピペ記事状態ではあるが)いくらでも見つかる。
その内容の多くは、製作当時の技術的制約に関するもので、要するにカートリッジROMの容量に関するものだ。
当時の開発者は常に容量の小ささという動かしようのない制約と戦っており、現在では考えられない程の創意工夫を用いてゲーム内容をROMに収めていた、という類の逸話を目にした人もいるだろう。

 その限られた容量内に収まるよう、まさに爪に火を灯すような節約が要求されていたことから、当たり前だが「泣く泣く削られた要素」も存在する。

 逆に言えば、容量の制約の中「最終的に削られなかった要素」により成り立っているのがオリジナル版であった、という見方が出来る。「容量の制約と言う名の生存競争」を生き残った要素のみで構成された製品には、そりゃあ当然、そのゲームのコア部分が凝縮されているわけで、その意味で言えば完成形にして芸術品となっていても不思議ではない。

 不思議ではないのだが、果たしてそれが本来意図された「完成形」足り得たか?という点で見ると、大いに疑問符が付くことも理解できるだろう。
何せドラクエ1のカートリッジROM容量は512キロビット=64キロバイトしかない。これはハードウェアの制約なので、当時としてはどうしようもない。その制約下でゲームソフトを世に出そうとすれば、まずはその容量に収めることが至上命題となるわけで、そのために本来の意図を捻じ曲げざるを得なかった部分は枚挙に暇がないはずだ。

 さらに、容量との戦いは2作目3作目とシリーズが続いたところで解消されるものでもなく、削られた要素があるのは1作目だけの話ではない。3作目のタイトル画面が削られたのも、容量との戦いの結果であるのは有名だ。

 そのように、オリジナル版は開発者からすれば「完成形」とは言えない部分を多分に含んでいるはずで、そういった部分を後年リリースされたリメイク版で、言わば「供養」するのが当然の成り行きと言えるし、実際にドラクエ2以降ではその傾向が見られる。

 このような背景で改めて、ドラクエ1のリメイク作を見てもらいたい。

 果たして、当時「泣く泣く削った要素」とは、表層的なグラフィック面や文字の種類だけだったのだろうか?

流れを再確認

 さて、ここで原典たるドラクエ1を読み解いてみよう。
日本国内において、未だRPGが一般的でなかった頃にファミコンでリリースされ、RPGというジャンルを定着させる上で大きな役割を果たしたタイトルである。
上述の通り、非常に小さな容量に収められたわけで、現代基準で見れば実にコンパクトなボリュームである。
故に、ゲーム一本を読み解くための教材としては、非常に適切なサイズと言える。

 ゲームの流れや細かいデータについては、適当な攻略サイトを参照する。

https://gcgx.games/dq1/map/world_map.html

 さて、オリジナル版であるFC版をプレイした記憶がある方ならば、途中で投げ出しかけたポイントがあったのではないだろうか。
ちなみに、ドラクエ1についての記事においては、大体このへんはスルーされてる。何故ならば中盤も中盤、少なくとも数時間程度のプレイでは到達出来ず、また終盤でも無いので、ラスボス戦近辺を見ただけでは絶対に判らない領域だからだ。

 さて、ドラクエ1をプレイした時の序盤からのルートを簡単におさらいしよう。

  1. ラダトーム周辺でレベル上げ+装備購入

  2. ロトの洞窟探索

  3. ガライの町周辺でレベル上げ+装備購入

  4. マイラの村周辺でレベル上げ+装備購入

  5. 沼地の洞窟通過
    (ついでに、このへんで岩山の洞窟探索)

  6. リムルダール付近でレベル上げ+装備購入

  7. ガライの墓探索

  8. メルキドの町到達に向けてレベル上げ

  9. メルキドの町付近でレベル上げ+装備購入

 以降、クリアに向けての道程は割愛。

 序盤~中盤までのルートがこの通りなのだが、ずばり8のポイントで投げ出しかけた人は結構多いのではないだろうか。

 繰り返すけど、これはFC版ね。リメイク版はこのあたりが相当マイルドに調整されてるから、きっとそれほど大きな問題と認識されない。

 事実、1~7に至るデザインは見事としか言いようがない。
「橋を渡ると敵が強くなる」ような敵配置により、キャラクター強化によって行動範囲が自然に広がるように出来ており、その時点で進める先に新しい町があり、そこへ到達した時点では少々強い周囲の敵と渡り合うための装備を新調出来るようになっている。
昨今のRPGでは間違いなくイベントという形で行動範囲を制限するのだが、ドラクエ1では容量の制約もあってか、言ってみれば「死に覚え」的なゲームバランスで以て、行動範囲の制限に代えている。
1~7の中で秀逸なのは「5. 沼地の洞窟」への誘導だ。
攻略情報なしのゼロベースで考えてもらいたい。
ダメージを受ける毒沼(しかも、その時点においては1歩につき2ダメージはバカに出来ない数字)が10歩分以上続く先の洞窟など、出来ることなら行きたくないわけだが、しかしその時点のキャラクターの強さでは、もう進む先が無くなるような敵配置になっているため、残るはそこしかない、という状況を作り出している。

 と、そこまでは非常に順調なゲームバランスであるドラクエ1だが、上記の8のポイントで突然、その流れが絶たれる。

多分、ここが削られたんじゃね?

 やはりここでもゼロベースで考えてもらいたい。
ガライの墓を攻略できる程度にキャラクターが強くなったことで、侵入可能なエリアが少し広がるわけだが、まず最初に目にするドムドーラの町に入ると何と廃墟であり、周辺よりも数段強い敵が闊歩している。
つまり、これまでの流れで言うと必ずあった「敵が強くなったエリアにおける補給基地」が機能しない状態が突如訪れる。
そして次の町は全く見えぬまま、先に進むとまたもや橋があり、それを渡った先はさらにもう一段強い敵のエリアで、その一番奥にようやくメルキドの町がある。ところが、その一歩前にはゴーレムなるボス敵との戦闘が待っている。

 ちょうどガライの墓以前と以後で、全く別のゲームかと言う程に、ゲームバランスや導線が一変していることが判るだろうか。

 先ほどの攻略ページ内のエンカウントマップを見ると、そのあたりがより顕著に見えてくる。

https://gcgx.games/dq1/encount.html

 ドムドーラ周辺以降は、ほぼ新顔の敵で強さも1~3ランクは上であるのにも関わらず、次の町は最奥部にしかないのだ。
それまでは、敵が1ランク上がるあたりで必ず次の町が配置されていたのに、である。

 今一度、ドラクエ1の果たした役割や、開発コンセプトを考えよう。
当時まだ一般的でなかったRPGというジャンルを、ファミコンの主要ユーザー層である子供たちにも遊べるようにする、という意図があった。そのために序盤のバランスは計算されており、途中で投げ出さないよう、常に次の目的地にプレイヤーが気付けるようデザインされている。
簡単に言えば、難しくしすぎない、という点に最大限の配慮が成されていたと言える。

 ところが、である。

 そんなドラクエ1ではあるが、中盤において突如、まるでハシゴ外しのように、次の目的地が喪失するポイントが存在するのだ。それだけではなく、目的地を喪失したまま、レベル上げという方法のみでキャラクターを強化し、行動範囲を広げる努力を要する期間が生じてしまっている。

 そこで疑問が湧き上がる。

 果たして、これは意図的なのかどうか、だ。

 意図的であるとすれば、こういうことだろう。
前半と後半でゲーム進行を一変させ、前半部分は言わばチュートリアルと位置付けて、どういうゲームか理解して慣れてきた後半からは少しハードルを上げてみて、プレイヤーの成長を促す、というデザイン意図だ。
RPGというジャンルを体験してもらいたいが、さりとて全くのテーマパークにはしない、ということであれば、後半の路線変更も説明が付く。
そもそも当時のゲーム全般に言えることだが、とにかく理不尽な難易度であることは珍しくなかったので、ドラクエ後半程度は意外と「普通」の範疇であったかも知れない。

 ただ、これは結構リスキーな考え方と言える。
明らかにプレイヤーに期待する面が大きいし、それが期待できないからこその序盤の気遣いであるはずだからだ。どこまで辛抱強くゲームに付き合ってくれるかは未知数で、何よりそれが市民権を得ていないゲームジャンルであれば尚更である。

 では逆に意図的でないとすれば、どういうことか。

 答えは明白。そのあたりで「何かの要素が削られた」のではないか。

 例えば、容量の都合上、町を一つ丸ごと削らざるを得なくなったとしたら?

 プログラム開発において、所謂「容量の都合」というのは、往々にして開発中期以降に初めて発覚するものだ。もちろん、開発初期の設計段階でもある程度の目算は立てられるだろうが、特に過去資産の流用が効かないような開発であると、実際に作って動かさないと判らない部分だらけになる。(中でもUIの手触り的な部分は机上設計ではまず予測不能で、特にゲームはUIの集合体である)
そのように「作って動かして初めて発覚する」問題への対処が生じるのが開発中期以降であり、さらにはそこから見えた改善点や仕様変更をクリアしようとすると、想定以上に容量を食うポイントが増えてくる。当然、優先順位としては屋台骨たるシステム部分が上になるから、そちらで食われた容量の分、シナリオやアイテムや敵キャラといった「枝葉」部分にしわ寄せが来る。

 ましてや、使える文字種類のレベルまで容量を切り詰めていたのがドラクエ1であれば、開発中期以降の段階で町一つが丸ごと無くなったとしても、全く不思議ではない。
単に町を削るだけではゲーム進行への影響度が大きすぎるので、敵の強さやマップを少し変更して「ギリギリ大丈夫なライン」に調整したのでは無かろうか。

 そういう目でドラクエ1のマップ、アレフガルドの地図を見てみると、それっぽい場所に気が付くのだ。

 ドムドーラ~メルキド周辺のマップのうち、アレフガルドの南西端に注目してみよう。

 ただの空白地に過ぎないエリアにしては、北側に岩山がアーチ状に配置され、さらに平野部がわざわざ円形に配置されており、妙に整った地形になっていると感じないだろうか。
ちょうどこの平野部の中央に町があっても、何ら違和感がない整い方である。

ドムドーラ南部の橋の近くに、妙に整った平野部がある。

 そしてもう一点。同じくマップを良く見ると、メルキドへのルートが二つあることに気付くだろう。
一つはドムドーラに近い橋を渡り、迷路状になった岩山の間を抜け、広大な毒沼を抜けるルートで、ちょうどメルキド周辺を渦巻き状に一周するような経路になっている。
もう一つはドムドーラから南下し、南端にある橋を渡った先を地形に沿って北東に進むルートで、言ってみればメルキドへのショートカットとでも言うべき経路になっている。
はっきり言って、先に地図を見れば、前者を選ぶ理由が全く無いと思えるような二つのルートになっている。

どう見ても、南側ルート一択状態である。

 これも、ここまでのゲーム進行からすれば、わざわざ近道と遠回りのルートを用意している意味が今一つ見えないのだ。しかも遠回りルートには思わせぶりな迷路のような(実際には一本道だが)地形まで配置されているが、何しろそちらを通るメリットが見当たらない。
それ以前に、ギリギリまで容量を削る開発をしているという状況を考えれば、わざわざこのような「外れルート」を設ける余裕があるのだろうか。それならば、その分をもう少し有効活用できるよう、最初からマップを削る方向に向いて然るべきでは無いか。

 この2つのルートも、後になって町が一つ削られた影響により生まれたものと考えれば、辻褄が合ってくる。
実は2つのうちのショートカットルートは、町が無くなったことで生まれたのではないか。本当は、メルキドへの道のりは遠回りルートしか無かったのではないだろうか。

 もし、先に示した位置に町があれば、そこを起点として見ると遠回りルートはむしろ次の町までの適正な距離とすら言える。
しかし、その町が無くなってしまったとなると、無補給で遠回りルートを走破することになり、これはあまりにも厳しいということで、本来無かった橋を追加してショートカットルートが作られたと考えられないか。(結果として、遠回りルートを半ば「捨てた」ことにも繋がる)

ドムドーラ南部に町があり、南端の橋が無かったと仮定した場合の順路。

 町がこの場所にあったと仮定すると、武器や防具についても一揃え分、ちょうど1ランク分が本来は存在したのではなかろうか。(武具データを見ると判るが、特に盾の種類と性能に関して、鉄の盾[守備力10]→水鏡の盾[守備力20]の間が不自然なほどに開き過ぎている)

 この町があれば、ゲーム進行としてもリムルダールまでと同じ流れが継続され、「目的地を喪失したままでのレベル上げ期間」というのが存在しなくなる。
(ついでに言うと、妖精の笛の情報は本来、リムルダールではなくこの町で提示される予定だったのではないか。使うタイミングが近いことから、その存在を忘れたままゴーレムと戦うことも防げる。町が一つ消えたとすれば、その情報が出るタイミングが早すぎることにも説明が付くのだ)

 さらに初めてこの地方に足を踏み入れたプレイヤー行動を想定すると、以下のようになると考えられる。(何度も言うけど、事前情報なしのゼロベースで考えてね)

  1. 橋を渡って1ランク強くなった敵と戦いつつ、
  2. すぐそばに見えるドムドーラの町に無警戒で入ってみると、

  3. 町の惨状に驚きつつ、町中で遭遇する敵の強さに心を折られて、

  4. 命からがらドムドーラの町から逃げ出して、仕方なく南下

  5. 東の方に橋が見えるが、もっと強い敵と戦いたくないのでスルー

  6. さらに南下すると町が見えるが、つい先ほどのドムドーラの件があるので超警戒しつつ入ってみると、

  7. 普通の町で超安心する

ドムドーラ南部に町があった場合に想定されるプレイヤー心理変化。
楽勝ムードからどん底に突き落とし、疑心暗鬼にさせてから安心させることが出来る。

 どうだろう、特に大掛かりなイベントを要さずとも、良い具合に緊張と解放を演出できるのではないだろうか。

リメイクするなら

 これぐらいは、オリジナル版をちょいと追いかければ割と簡単に行き着く話で、そうすると、リメイクするときも手を加えるポイントというのが変わってくるハズなんだ。
グラフィック面みたいな表層的なところで済ましたり、パラメータ調整でスムーズに進めるようにするパッチ当てで済ますのではなく、「削られたであろう要素」を復活させ、ゲーム進行そのものを整えたドラクエ1リメイクというアプローチを見てみたいと思う。
(最初のリメイクであるSFC版が下手に「ストレスなく遊べる程度に」バランス調整してしまったもんだから、根本的な問題を覆い隠してしまった一面があるんじゃなかろうか)

 ところで小学生の時、国語だかの授業で、地図を見て自由に物語を考えましょう的なのがあったと記憶してる。グループ学習でリレー小説的に物語を書く、というやつだった。(提示される地図は宝の島の地図みたいなやつ)

 それと同じように、アレフガルドの地図から「ここに何かありそう」とイメージ膨らませたら、自ずと追加要素や「削られたかも知れない要素」も考え付きそうなモンなのじゃが、最近のゲーム開発者な感じの若者はそういう経験をしとらんのかね?

 まあ、いつの頃からかゲームがあまりにも壮大になりすぎて、俺のポケットには大きすぎらあ、な感じになって久しいので、イメージの縮尺が釣り合わなくなったのはあるかも知れん。(故に、冒険の舞台が局所単位に分割され、全体図は単なるフレーバー程度の扱いになった傾向が見られる)

 その意味でも、アレフガルドの規模ってのはすごくちょうど良いんですよ。
本当に徒歩でぐるっと無理なく漫遊できそうなサイズ感。
 別のゲームだが、ロードス島戦記も良く似たサイズ感で、これぐらいであればイメージの縮尺がぴたりと合って、だからTRPGの舞台として非常に具合が良かったんだ。

 ドラクエ1とかロードス島戦記とかって、お手頃サイズのオープンワールドRPGとして最適だと思うんだけどなあ。
広さではなく深さで楽しめそうな、良く知ってる地図の知らないところを見つける楽しさって、おっさんホイホイではあるけど、おっさんならではの楽しみ方が羨ましかろうな感じでいいじゃありませんこと?


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