読書体験設計フレーム 説明書
1.フレームの基本思想
フレームの基本思想は以下の通りとする。
書き手というのは突き詰めれば「読書体験」を生み出す文章を提供しているのだから、文章設計とは即ち「読書体験設計」である、と置く。
創作論や技術論は「読書体験の実現手法の一つ」であるので、読書体験設計はそれらを否定しない。ただし、創作論や技術論は最上位に置かれるものではなく、「読書体験実現のために取捨選択される下位要素」となる。
書き手だけでなく、読み手にとっても読書体験を説明できるようにする。
既存の創作論や技術論には守備範囲の限界がある。とは言え、それらを否定したり、直接的に改良しようとするのではなく、守備範囲外を埋めるものを考える、というスタンスを取っている。
創作論や技術論は決して万能工具ではなく、ドライバーか何かだと定義してしまえば、ドライバー一本で大工工事出来るわけないのは当たり前で、じゃあ他の工具を持ってきましょうよ、ということである。
雑に言い換えれば、一般論は一旦脇に置きましょう、というスタンスである。
2.フレーム本体
本フレームは以下の基本構造から成り立っている。
(1) 読書体験の定義
(2) 対話方式の定義と分析
(3) 三軸の定義と分析
軽く順番に見ていこう。
先に言っておくと、特に原典は無い。自前テキストを分析してデバッグしながら行き着いた代物なので、まあその程度ではあるが、単なる机上論よりはもう少しエンジニアリング的である、と思っていただければ良い。
生成AIプロンプトとして使う上では、(1)(2)(3)の定義に基づいて、対象テキストがどのような体験を提供しようとしているかを、(2)(3)の観点で分析する、という流れになる。
(1) 読書体験の定義
これを定義しておかないと単なる印象論になる。
別にここは『学術的正しさ』やら『原典の権威性』を持ち出す価値は無く、『このフレームにおける一貫性』を取るためのものでしかない。
ここでは読書体験を以下のように定義している。
読書体験とは、読者とテキストの間に生じる対話である。
読者は受動的な受容者ではなく、テキストとの対話に能動的に参加する。
体験の速度・深度・方向は読者の任意性に委ねられており、体験の内実は個人性を持つ。
とりあえずは、こういうもの、としておく。
(2) 対話方式の定義と分析
定義によって、読書体験=読者とテキストの間に生じる対話、と置いたので、次はそれがどのような対話であるかを特定する。
ここでも、典型的パターンを定義しておく。ひとまず3つ。
| 同化的対話 | 読者がテキスト側に近づいていく対話。 これが深化・特化した状態を「没入」とする。 |
| 応答的対話 | 読者がテキストに対して応答・評価・反応する対話。 これが深化・特化した状態を「鑑賞」とする。 |
| 思索的対話 | テキストを起点に読者が独自の思考・連想を展開する方向の対話。 これが深化・特化した状態を「耽想」とする。 |
それぞれの名前は、まあ単なるラベルに過ぎないので重要ではない。
ポイントは、よく言われる「没入」というのは、あくまで一つのモードに過ぎない、という定義であること。これは特定ジャンル以外を守備範囲に含めるためにも重要。
(3) 三軸の定義と分析
ここがフレームの本丸。
文章がどのような種類の体験を提供しているかを分析するため、体験の構成要素を三軸で定義する。
| キャラ同化 | キャラクターの認知・感情に引き込まれることで同化的対話が深化する体験。同化は次の二種類で区別する。 【認知的同化】 読者がキャラクターの思考・判断・認知フレームを追体験する。 【感情的同化】 読者がキャラクターの感情・感覚に共鳴する体験。発生経路は三つを区別する(直接誘発、認知的同化経由、比較往来経由)。 |
| 比較往来 | 作品世界と読者の既知の文脈(現実・他作品・常識・一般知識)を 往復する思索・連想にふけることで思索的対話が深化する体験。 |
| エピソード体験 | あらすじから感情・認知・説明を除いて残る「描写された出来事の連鎖」を 楽しむ体験。 |
ここでも、呼び名自体はあくまでラベルということで、そこまで厳密さは求めない。
所謂『共感』と呼ばれるのは『キャラ同化:感情的同化』としている。これも、あくまで一つのモードに過ぎないと置くことで、分析の偏りを防いでいる。また、感情的同化については発生経路を区別して扱うようにしている。直接的に感情語を配置するのは『直接誘発』という、これまた一つのモードに過ぎないとしている。
ポイントは『比較往来』という軸を設定したことで、これは意外と見過ごされがちな体験。『文章をトリガーとして物思いにふける』のも立派な読書体験で没入体験に相当する、という観点から、この軸を設定した。
三軸と言いつつも、キャラ同化が二分されてるので、実質的には四軸みたいなものなのだが、収まりの良さを見て三軸としている。 ここでも、呼び名自体はあくまでラベルということで、そこまで厳密さは求めない。
3.使い方
自分の書いた文章なり、他人が書いた文章なりを、このフレームに基づいて分析してみる。
分析と言っても、そこまでガチである必要は無く、言ってみれば、
その文章が何を狙って書かれたものかを説明するための観点
として使う、ぐらいで構わない。
書き手/読み手における、想定される用途は以下の通りである。
書き手としての使い方
- どのような体験を提供したいかを計画する物差しとする。
- 執筆途中の文章をフレームを使って分析し、自分の意図と合っているかどうかを照合する。
読み手としての使い方
- そのテキストが『どのような読み方』を意図して書かれたかを確認する。
- 読書体験を表現する際の解像度を上げるために使う。
=その文章に乗れた/乗れなかった原因を説明する言葉として使う。
注意点
- 物語構造を説明するものではない。それは創作論の守備範囲。
- 文体を分析するものでもない。それは技法論の守備範囲。
その文章表現が、どのような体験をトリガーし得るかという、上位レイヤーでの構造解析を行っている、と言える。
これは書き手でも読み手でも使えるものとしている。
特に書き手側にとっては、途中状態でも使えるものとしている。それこそ、例えば章の途中の1セクションを切り出して分析する、なんてことも出来る。
書き手としては『感情的同化』を狙って書いたはずだが、別の軸が強く出てしまった、みたいなチェックにも使える。
読み手側にとっては、体験を説明するための言葉になる。漠然とした印象論以上の解像度で読書体験を分析的に説明できるようになって、特にイマイチ乗れなかった原因を明確に説明できるようになる。
例えば、読み手は『感情的同化』を期待していたのに文章が『認知的同化』を提供していた場合のミスマッチを説明出来たり、文章が要求する『比較往来』を理解する材料(例えば、特定の時代背景由来の常識)を、読み手が持ち合わせていなかったなども説明出来るようになる。
文章というのは、テキストを通じた書き手と読み手のコミュニケーションの形であって、突き詰めて言えば、そこにあるのはマッチしたかミスマッチしたか、でしか無い。
これを書き手と読み手が共通の言葉で説明出来れば、まあ大体のトラブルは解決すると思ってる。
言葉が無いのに、言葉が十全に揃っていると思い込んでたら?
そりゃコミュニケーション不全を起こしても当然ってものだろう。
文章の書き方や読み方の教育に使える可能性なんてのもある。
ポイントは、書き手と読み手が共通のフレームで文章を語れること、だ。
ここで印象論じみた漠然とした言葉を『十全な必殺技と思い込んで』使うからコミュニケーション不全に陥るのであって、もうちょっと工学的に、ただしちゃんと読書を通じて個々に何が起きたかを記述する言葉を設計すれば良いのだ。
4.応用例:文学ジャンルをフレームで説明
様々な文学ジャンルの典型的な体験構造を本フレームで大まかに表現することが出来る。
いくつか例示してみよう。あくまで『典型的構造』なので、念のため。
| エンタメ (ミステリ/サスペンス型) | プロットの緻密さと「解決」への論理的導線を重視する構造。 主な対話形式:同化的対話(認知的)が主軸。 キャラ同化(認知的同化):非常に高い(探偵役などの知的活動をなぞる) キャラ同化(感情的同化):低い(意図的に抑圧) エピソード体験:非常に高い(事件解決までの道筋を辿る) 比較往来:中(読者の一般常識や科学知識などを参照点として活用されることがある) |
| エンタメ (ライトノベル・ファンタジー型) | キャラクターへの帰属意識と、世界のルール把握を重視する構造。 主な対話形式:同化的対話(感情的)と応答的対話の混在。 キャラ同化(認知的同化):中(独特の設定理解のため) キャラ同化(感情的同化):非常に高い(直接誘発) エピソード体験:中~高(キャラ同化のためのエピソードの積み重ね) 比較往来:中(「お約束」の照合としての機能) |
| 純文学 (内省・芸術性重視型) | テキストから離れ、読者自身の思索や人生観と照らし合わせる構造。 主な対話形式:思索的対話が主軸。 キャラ同化(認知的同化):中~高(キャラの内省を通じて物語が進む) キャラ同化(感情的同化):中(比較往来経由になりやすい) エピソード体験:低~フラット(変化しない日常や静止した瞬間描写に重きを置く) 比較往来:極めて高い(比喩や文体を通じて、読者の文脈資産を刺激) |
厳密に言い始めるとキリが無いが、それでもジャンルごとに『どのような体験を狙っているか』が異なることは一目瞭然だろう。
ネットにおける『受ける文章』がどのような体験を主軸としているかも容易に想像できるはずだ。(『浅い』という指摘の真意もここから読み取れるだろう)
さらには良く言われるところの『純文学は難しい』の理由も説明できてしまう。体験のコアが比較往来に集中しているがために、読み手の持つ『文脈資産』に応じて、体験が完全に左右されてしまうのが判る。
ちなみに、体験軸はそれぞれが独立しているわけではなく、相互作用も働くので、自ずとトレードオフも発生する。故に『全軸が高い』は、構造的にレアケースとなる。(積み重ねの結果、全編の一部に限ってそうなる、ぐらいがおそらく限界)
むしろ、意図的な軸の偏りによって体験を最大化させる構造、と見た方が実態に即していると言える。
このように捉えると、書き手にとっては、今まさに自分が書いている文章がどういう体験を提供するかが分析できれば、提供先の適合度なんかも予め推定できるようになるだろう。
ミスマッチを回避するも良し、敢えて逆張りに走るも良しだが、それもより意識的に行えるようになるわけだ。
読み手としても『ジャンルごとの読み方』のガイドとして機能するわけで、これもミスマッチ回避の大きな手掛かりとなるし、自分が好む体験構造が把握出来れば、そういうテキストを探すための手掛かりと出来る。